オリバー・バークマン (著), 高橋 璃子 (翻訳)
高給取りの企業弁護士が往々にして不幸である理由
高給取りの企業弁護士が往々にして不幸である理由は、ビラブルアワー(請求可能な時間)という慣習にある。
(中略)
弁護士が家族との夕食や子どもの発表会に現れない場合、それは文字通り「忙しすぎる」からとはかぎらない。金にならない活動に自分の時間を使う意味がわからなくなっているのかもしれない
p164 Chapter 8
ビラブルアワー(Billable hour: 請求が可能な時間)を意識しすぎて、仕事以外の場面にも自分の時給を割り当てて価値を判断していた。
「この飲み会には自分の時給 XXXX 円の価値があるか?」
「食事を作る1時間を考えたら、コンビニで1000円の弁当を買った方が安上がりだ」
このようなビラブルアワーに囚われた人が不幸なのは理解容易だし、自分も紛れもなくその一人だった。だからいくら時給が上がっても幸福感が訪れない
時間はそもそも借り物。奪われるものではない
何かが存在することが、どれほど驚異的か。それに気づかない人は、自分の人生を当たり前のものだと考える。自分の人生はすべて自分の好きにできるものであって、絶対に奪われてはならないと思い込んでしまう。でも、逆に考えてみてほしい。 無限にあったはずの時間を奪われるわけではない。そもそも、時間が少しでもあること自体が、不可解なほどに奇跡的なことなのだ。
p83
この宇宙で、地球で、人間のような知的生命体が誕生したこと自体が奇跡的な確率である。その中でも先進国に生まれ、自由な時間を謳歌できている。
つまり時間は自分にあるものではなく、与えられたものと考えることができる。
そう考えれば、ちょっとしたトラブルでイライラすることも、すごく奇跡的な時間なのだ。
思いもしないことで時間を奪われたと思ったり、選べなかった過去の選択肢を悔やむ必要なんてない。
そもそもそんな時間なんて存在しなかったんだ。
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